リンゴ・スター、ポールの死暴露、英国ウイリアム王子の近況と王位を捨てた王エドワード8世の写真

私は高校時代、密かにビートルズのファンでした。
それで、彼らの写真集を買って、一人一人の写真を切り取って、しおりにしたりして楽しんでいました。
ですから、当時1963、4年の彼らの顔は今でもしっかり焼き付いています。
70年以降はフラメンコに没頭していたので、ポップミュージックの方にはご無沙汰していました。
フランスに来て、かなり経った頃、息子達がそろそろ流行りのロックやポップを聞くようになったので、ビートルズの近況もちょっと気になって、彼らの雑誌を覗きました。そこにポール・マッカートニーの写真が載っていたからです。そして、内心びっくりしました。それはとても私が知っているポールではなかったからです。本当に別人でした。

それから数年前に、偶然、ポールが替え玉だとか、クローンだとか、ショッキングな記事(英)を見ました。

今回は、ビートルズ最後の生き残り、リンゴ・スターがポールの死(1966年)のことを公式に発言したそうです。
かなりインパクトあるニュースなので、リンゴの発言の部分だけ訳しました。


http://stateofthenation2012.com/?p=12355#more-12355
by Barbara Johnson
WorldNewsDailyReport.com


元ビートルズのリンゴ·スターは、本物ポール·マッカートニーが1966年に死亡し、そっくりさんに置き換えられていたことを発表した。


ビバリーヒルズ; 今朝、元ドラマー、リンゴ·スターが、カリフォルニアの豪宅で、インタビューに答え、世界を驚かせた。それは1966年にポール·マッカートニーの疑惑の死につき、45年の噂が実際に本当だったことを認めたときでした。


「ポールが死んだとき、私たちは完全にパニックになった!」非常に感情的にリンゴは語った。 「私たちは何をすべきか分からなかった。私たちのマネージャー、ブライアン·エプスタインは、一時的な手段としてビリー·シアーズを雇うことを考えた。はじめは1〜2週間だけ。しかし時間が経つと、誰も気づかようなので、私たちは一緒に演奏して(チームを)維持した。ビリーはかなり良いミュージシャンであることが判明し、彼はポールよりもほぼ旨く実行することができた。唯一の問題は、彼がまったくジョンと一緒にいることができなかった、ということだった。」


  リンゴ·スターは付け加えた。  「私たちは自分たちの詐欺に罪悪を感じていました。世界に真実を伝えたかったが、そのために起るであろう反応を恐れました。地球全体が、我々の発信したすべての嘘のために、我々を憎むだろうと思っていたので、この嘘を保持しつづけたました。しかし私たちの(真実を知っている)意識を緩和させるために、微妙な手がかりを送信し続けました。

そして結局、最初の噂がこれについて出始めたとき、私たちは非常に緊張しました。お互いに、争いを始めたました。ある時点でその状況は、ジョンにとって強烈過ぎました。彼はバンドを離れることに決めました。」

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(元のポールは丸顔ですが、後のポールは長い顔になっている)

Paul McCartney está Muerto - Yesterday 1966 vs 1976 subtítulos en español

(歌イエスタディを聞き比べると、なるほど、なるほど、、)


嗚呼、悲しいではないか!さんより/
フルフォード氏の英語ブログ
http://ameblo.jp/jicchoku/


英国王子ウィリアムは先週始まった訪問で中国と日本において鳴り物入りで歓迎されている。ウィリアムはロンドン市に拠点を置く金融システムとアジアの金塊 にに基づくシステムとの統合協定に調印する為にここにきたと、MI5は言う。さらに日本の皇室内情報筋によると、王子ウィリアムは英国王位継承者として日 本に来て天皇に挨拶して何故チャールズが王にならないかを説明に来た。中国情報筋は、からはまた将来必要となるお金を求めて訪ねてきたと言っている。中国 は又、象牙の輸入を禁止することで環境保全をはかる英国も目標に対して感謝の意を示した。





ウィリアムがアジアにいる時、ロンドンのバッキンガム無宮殿で誰かが裸で窓から飛び出した。

https://www.youtube.com/watch?v=dHrxOzsKR9M&feature=youtu.be

MI5によると、この事件は宮殿本館の場所ではなく、馬寮であった。明らかにもかかわらず、宮殿の安全担当の人々は皇族へ「小児性愛者の逮捕と金融システムの準備と思われる」と皇族にメールメッセージを送っている。




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英国の皇太子だったエドワード8世が昔日本でこんな写真を撮っていました。

はっひ姿のエドワード8世。はっぴの襟には高島屋呉服店配達部の名前があり、1922年の皇太子時代に来日した際に京都で自ら購入し、仮装パーティで人力車夫に扮したと言われている。
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鎧兜姿のエドワード8世(皇太子時代)。1922年、鹿児島で島津家を訪問。
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何故故に英国の王様が、日本に来てこのような写真をとらせたのでしょうか??
私たちが知らないストーリーがある様な気がします。


ウキペディアエドワード8世で検索してください。もっといろいろな写真があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki


それから王位を捨てた原因、恋に落ちた相手のアメリカ女性(諜報員だったという噂がある)のこともなかなか面白いです。

ウォリス・シンプソン(Wallis Simpson, The Duchess of Windsor, 1896年6月19日 - 1986年4月24日)は、ウィンザー公爵エドワード王子(元イギリス国王エドワード8世)の妻。 「王冠を賭けた恋」として知られるこの結婚のため、エドワード8世は退位してウィンザー公爵となり、彼女もウィンザー公爵夫人(The Duchess of Windsor)となった。
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by lamsoleil | 2015-03-04 05:47 | 宇宙の謎、日本の謎、世界の謎

新しい地球づくり、コミュニティつくりを中心にフランスから発信しています


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